代表の前川です

本日は少しプライベートな話になります

少々自己開示が入りますので、あまり興味のない方は楽しくないかもしれませんので読むのをやめていただいても大丈夫です、、、

ただ、健康が大切なのはわかるし、運動をした方が良いということもわかっている!

けど

頑張れない

そんな人には少しお時間をいただければと思います

実は先日大好きな祖母がこの世を去りました

僕の祖母は、僕が物心ついた時から足が悪くいつも片足をひきづって歩いていました

僕は小さい時から母から「おばあちゃんを頼むよ」

と重要な使命を任されていました

僕は小さい時からいつも出かける時、朝のお散歩の時、祖母の手を引き、、、

いや、ある時までは僕が祖母に引っ張ってもらっていたのかもしれませんが、

いつも僕の手を握ってくれていたのは祖母でした

僕は祖母が転ばないように気をつけながらエスコートするのが役目でした

今でも思い出します

あの笑顔の素敵な祖母が「わっくんありがとう」と言ってくれた瞬間を

これは僕の一生の宝物です

※写真:中学生の時、家族で江ノ島に行った時(この頃は思春期が始まり、恥ずかしくて腕組みに変わってきた頃)

そんな祖母が認知症を患い

僕のことを「あんた」と呼ぶようになり

いつもニコニコだった顔に笑顔がなくなり、会話ができなくなり、そのタイミングで僕は思春期に突入し、高校生に上がる時

僕は祖母を嫌いになっていました

なんだったら少し憎む瞬間すらありました

祖母は毎日コンビニに行きおんなじ物を買いに行く

その度に僕はレシートを手に取り返品の作業

おかしくなっていく祖母に、受け入れられない母はいつも怒っている

そんなイライラをわかってあげられない未熟な僕は母といつも喧嘩

部屋は汚れ、家族がバラバラになるのがわかる

僕は祖母の手を握らなくなっていた

そしてある時祖母は外で転倒して歩けなくなった

そこから一気に症状は悪化し返事もしない表情もない、ただ息をするだけの祖母がベットで寝ていました

無力で何もできない自分に苛立ちを覚えたのを覚えています

ここから15年ほど祖母の介護でした

僕も30歳を過ぎて祖母の死を受け入れていると思っていました

祖母の安らかに眠る表情を見て「これでまたあっちの世界で大好きだった散歩でもしててよ」

と悲しい感情なんて微塵もないと思っているのですが

止まらない涙に不思議な感覚でした

今思い出しても本当に優しい祖母でした

いっつもニコニコ、怒られたことなんて一度もありませんでした

※写真:決して笑顔なんて作るかという強い意志を感じる反抗期の私(ただ恥ずかしいだけです笑)

あの頃に今戻れたならあんなトレーニングや施術、なんとかして健康にできたらと思うけどもう祖母に会えることはありません

僕は昔から知っているのです

「健康は決して自分だけのものではないことを」

「人は決して1人では生きていないのです」

「どんな人にもあなたを大切に思ってくれている人がいる」ということを

だからどうか多くの人に健康になってもらいたいのです

どうしてあんなに素敵で優しい祖母がこんな目に遭わなくてはいけないのか

娘である僕の母にこんなに迷惑をかけたくなかったはず

ただ、わかってはいるのです

人はいつか歳をとり、そして死ぬまでの間に周りの人に迷惑をかけるものだということを

だから迷惑と思わずに困っている人を助けよう!

これはごく当たり前でおそらくみなさん行っていることだと思います

だけどどうですか?

今では健康寿命ということがば多く知られるようになりましたが

医療で寿命は伸びますが、自分の足で歩き脳で考え生きるためには自分で努力するしかないのです

自分のために、健康のためにがんばれていますか?

大切なお子様、旦那様や奥様、親御様やご友人

あなたに何か起きた時に悲しむ人は必ずいるはずです

家族でないトレーナーの僕でさえお客様に何かあればかなり取り乱します、、、

今すぐに行動しなさいとは言いません

ただ時間はあるようでないものです

健康は1日にしてならず、小さな積み重ねが大切です

だから、どうしたら未来のために行動ができるのか考えましょう!

相談だけで来店していただいても構いません

僕は1人でも多くの人たちの未来を輝かせたいです

頼っていただけると嬉しいです

長くなりましたが僕がトレーナーである理由、あり続ける理由の原点について書かせていただきました